空気ごと、持っていかれる
「……あの子、近くにいると“いい匂い”がするんです」
喫茶さくや、昼下がりの光の中。
アキラはアイスティーのストローをいじりながら、小さく呟いた。
「清潔感、って言えばそれまでなんですけど……なんか、その匂いで思考が止まるというか」
「ふふ、アキラくん」
セリナは紅茶をそっと差し出しながら、目を細めた。
「“いい匂い”って、それだけで“記憶”になるんですよ」
そのとき、入口の扉がカラランと鳴って開いた。
現れたのは、ひとりの男。
濃い紺のシャツに、整った髪。
そして、肩にふわりと漂うのは──サンダルウッドの香り。
「やあ。今日は“火種の匂い”について、話をしに来た」
彼の名前は──キング。
アキラが“モテ”にコンプレックスを抱くきっかけになった男だった。
目次
🕊️物語|五感と距離と、火種の残り香
「お前さ、匂いって“情報”だって知ってた?」
そう言って、キングはアキラの向かいに腰を下ろす。
「“清潔そう” “落ち着く” “なんか好き”──そういう直感は、ほとんど匂いから来てる」
アキラは、やや戸惑いながら頷いた。
「……なんでそんなに自然に“いい空気”出せるんですか」
「それは、相手の“緊張”を先に抜いてやるから」
キングはそう言って、カップを傾ける。
「香水ってさ、“自分のため”に使ってると思わせないのがコツ。
あくまで“相手の安心感のため”って顔をする」
「……ズルいな」
「ズルさを“気遣い”に変えるのが、演出ってやつだ」
セリナが静かに微笑む。
「でも、アキラくん。キングさんは“自分に香りをつけてる”というより、
“その場に香りを残す”タイプなんです」
「……その場に?」
「はい。帰ったあとに“あれ、なんかまだ残ってる”って、
ちょっとだけ思わせる。
それが、“思い出す”きっかけになるんです」
📘構文解説|“いい匂い”は記憶の火種
香りは、記憶に直結する数少ない感覚情報です。
言葉や視覚では伝えきれない“雰囲気”をまとう手段として、
香りは圧倒的な力を持っています。
しかし本質は、“香ること”そのものではありません。
大切なのは、「残り香」として相手の中に何かを残すこと。
それが“いい匂い”のズルさであり、やさしさであり、
そして──火種です。
🔚余韻|近づいたとき、火種は見えなくなる
「……でも、そんなふうに計算して振る舞えないですよ、僕」
アキラが照れたように言うと、キングはにやりと笑った。
「いいじゃん。お前は“火種が近すぎて熱くなるタイプ”だろ?」
「それ、褒めてます?」
「もちろん。俺みたいなやつは“遠くで灯る光”。
お前は“間近で心を焦がす火”。──どっちが届くかは、相手次第だ」
セリナは、そっと微笑んだ。
「……香りが届くのは距離が近いとき。
でも、心に残るのは“そのあと”なんです」
アキラは、キングの残したサンダルウッドの気配に、少しだけ視線を落とした。
(ああ、たしかに……ズルいな)
【今日の火種】

「ミリアは、キングが帰ったあとのカップを片付けるとき、
“ふふ、香水って記憶操作魔法よね”って小声で言います」
――セリナ
【REBOOTシリーズを読み進めるなら…】